カナダに到着、スマホを使えるようにする(3)
ああ、忙し過ぎてブログが書けません、PCの前に座る元気もない。
新しい病院にやってきて早くも4か月が経とうとしてますがほぼ毎日残業。
能力のない自分にも本当に嫌気がさして苦痛…。
今日は夜勤入り、珍しく早い時間に比較的スッキリと目が覚めたので頑張って書いてみます。
カナダについてから、まずは一番にするべきこと(だと私は思う)。
それはネット環境と電話回線を確保すること。
自国から持ってきたスマホのみ使用し、カナダでは電話番号は持たず、LINEみたいなSNSアプリを使って同じアプリを使う故郷の家族や友達とのみ、フリーWi-Fiのある場所で通話する、というクラスメートもいました。
まあ、学校はWi-Fiあるので、授業でも翻訳アプリとか使い放題ではあったのです。
私は子連れなのでそういうわけにいきませんでした。
何かあったときの連絡先が絶対に必要です。
滞在期間も4か月あるし、ホームステイ先のファミリーと電話で話す機会も多いし、自国から持って行ったスマホの海外プランだけでしのぐなんて、高すぎてとても無理です。
それで、カナダ東部で使用できる周波数のiPhoneの白ロムを通販で購入し、カナダに持っていきました。
次は、モントリオールの中心街にて、ケータイの会社というか店に行きました。
有名なところでは、テニスのロジャースカップで有名なRogersも実はケータイ会社。日本でいうとドコモ的な会社でしょうか。
他にもいろいろあったんですが忘れました…
街中でよく見るのは5~6社くらいあったと思います。
その中で、私はFidoという会社に行きました。
ふぁいどと読むのかふぃどと読むのか最後までよくわかりませんでしたが、
ここはRogersの子会社で電波がしっかりしているとのこと。
日本でいうとソフトバンク的な感じかなと思います。
プランがわかりやすくて若者に人気らしい。
モントリオールの中心部にあるFidoのショップに行くと、10人くらいすでにお客さんが並んでいました。
名前を告げて順番待ちに並びます。
すると次々にお店のスタッフさんがやってきて、名前を呼んでお客さんを伴って行く、という流れ。
私は名札にラファエルと書かれた若いお兄さんの店員さんが担当になりました。
パスポート、クレジットカード、あと自分の持ち込んだiPhoneを出して、SIMを契約して、自分用の電話番号を使えるようにしたいんだけど、できるかな?と伝えると、
ラファエルは「もちろんできるよ。」と笑顔で言ってくれました。
そして、データ量が2G、5G、7Gなどから選べるようになっているけどどれがいい?
と聞かれたので、とりあえず2Gのプランにしました。
パスポート、クレジットカードをチェックして、問題なければSIMカードをセットして準備完了。
書類にある電話番号を示して、「これが新しいキミの番号だよ。このiPhoneの電話番号だからね。」と言ってくれました。
カナダでもカケホーダイのようなプランになっていて、国内はどれだけかけても料金同じ、あとショートメールも送受信し放題。
どこからが長距離なのかイマイチよくわからなかったけど、アメリカとか国外になるともちろん長距離電話の扱いになって、別料金とのことでした。
通話なんか全部カケホーダイでいいじゃん、と思ったけど、
なんせカナダは世界第二位の国土をもつ国、広いのです。日本と同じ感覚じゃダメなのね。
あと、日本ではEメールが主流(今はLINEとかかな?)ですが、カナダでは電話番号で送るショートメールが普通でした。
ちなみにLINEを知っているクラスメートは皆無でした…
世界的にはwhatup(ワッツアップ)というSNSアプリがシェアNo1だということを初めて知りました。
そりゃLINEは日本生まれ、日本語のアプリですからね…
話がそれましたが、優しいラファエルは私が下手くそな英語でいろいろ聞いても、イラっとした顔も見せずに笑顔で親切に答えてくれました。
ここにきて良かったなー。
ちなみに後日別件でここに来たときはお姉さんだったけど、はっきり言って良くなかった…あんまり優しくなかった"(-""-)"
とりあえず市内かけ放題、ショートメールやり放題、ビデオメッセージやり放題、2Gのデータ付きでだいたい6000円くらいで契約しました。
よかった、やっと電話がつながって…
ここまでのいろいろな失敗を思い返し、達成感で満たされましたw
ちなみにFidoのSIMは、日本からもAmazonの通販で買えるようになってました。
出国前から準備しておくのに便利ですね。これをやっておけば、空港で困ることもないし(泣)
ケータイ関連の話はまだ続く、予定です。
モントリオール一番の観光地、オールドポートの中心的建物です。
内部の美しさが素晴らしい!祭壇を囲んでいるのはパイプオルガン。残念ながらゆっくり鑑賞する時間はなかったですが。
教会の前にある噴水にて。
左側から、私の友達のジェニー(ドミニカ出身)
ジェニーの息子ジブリール(お父さんはカナダ人)
私の息子kk (日本出身)
観光客の男の子と、そのお父さん(中国出身)
国際色豊かですねw
■
長いことブログお休みしていましたが、また少しずつ書いていこうと思います。
筆不精ですみません…
昨年、2016年の6月から9月まで、カナダ、モントリオールに滞在していました。
母(私)は英語の学校に、4歳の息子は現地の保育園に通っていました。
今現在は日本の山陰地方で働いています。
カナダでの生活を、思い出しながら再びブログに書いていこうと思いますので、よろしければ読んでやってください。
説明をしていなかった気がしますが私は結婚せずに息子を生んだのでいわゆる未婚の母です。
身軽なのが良いところ。
他にも家族はいますが普段ほとんど行き来がないのでカナダ行きも自分でサクッと決めて、息子の手を引き飛行機乗って、サッサと行ってしまいました。
このブログでは私たちのカナダでのことを書いているのですが、文章の構成上、どうしても家族のことなど書かないと意味が伝わらなかったりするので、ここで少し書いておきます。面倒な方は飛ばしてください。
母(私、ブログ主):アラフォーの未婚シングルマザー。職業は一応看護師。仕事デキない給料ドロボー。いただいたお金で勝手きままに生きている。
kk(息子):4歳。生まれてこの方、自分勝手な母に振り回され続ける人生を送っている。おかげで心身ともにかなりのタフネス。父に似てなかなかのイケメン。
kk父:嘘がつけない正直者。やっぱり自分に子どもは無理と悟ったのかkk誕生後しばらくしてどこかに消えた。子供には理解不能な優しさを持つ謎のイケメンw
母の母:かなりのズボラ母。9歳の娘を残し家出、その2年後に再婚した。いろんな意味で母に人生の厳しさを教えた人。kk(孫)誕生の2か月後に病没。
母の父:母の母に輪をかけてズボラな父。いばりんぼだが貧乏。いつも人様に助けられている。いろんな意味で母に人生の悲哀を教えた人。
母の義父:母の母の再婚相手。激動の人生を歩む、現役タクシー・バスドライバーで有限会社社長。 連れ子で娘になった母に、なんだかんだでよくしてくれる。
母の従姉妹:母と同い年で関西地方在住の2児の母親。母がカナダに行っている間の郵便物受取人で事務処理係をやらされていた。母の親友でもありkk誕生の立会人。
私、家族少ないです。もともと一人っ子ですし。
パートナーもいませんし。実際、綱渡りみたいな生活をしていると思います。
母に何かあったらkkはひとりぼっちです。
こんなことを書くと、「お前には感謝の心がないのか!」「人間不信」「そんなことないと思うよ…」「ほかにも誰かいるでしょ」など
いろいろ言われそうですが、本当なんです。
「何かあったら、できることがあったら言ってね」って、言ってくれる人、大勢います。そういう方の善意に支えられて今があります。本当に、感謝してます。
それは間違いありません。
でも、ひとりぼっちになったkkを受け入れて生活の面倒を見てくれる人は、いるとしてもおそらく従姉妹くらいなので。
今日はカナダとかけ離れた話になってますが、ごめんなさい。
本当はkkには安心して生活できる環境を用意してあげたかったのですが、ひとり親家庭になってしまって本当に申し訳ないなと思っています。
おじいちゃんやおばあちゃんも、いないも同然。
私もkkに、自分の親と同じようなことをしている。
知らなくてもいい現実を思い知らせるようなことを…。
親のほうにどんな建前や説明があったとしても、子供には関係ないのです。
子供は与えられた環境に甘んじるしかないのですから。
それは自分自身、身をもってよく分かっています。
もっとも、両親そろっていても、必ずしも幸せとは言えないこともあるのが今の世の中ですが、日本は制度的にも社会的にも、ひとり親家庭にあまり優しくない国なので。
kkが自分で生きていけるようになるまで生きていられますように。
真剣にそう願っています。
元気な間は、死に物狂いで働いて、お金をちゃんと稼ぐ。
保険にも入って、年金も納めて、いざという時に備える。
と同時に、自分の夢や希望も叶えて、充実した生活を送る。
親である自分がkkにしてやれることは、衣食住の面倒をみるのはもちろんですが、
自分自身がこどもに恥ずかしくない人生を送ることかな、と思っています。
「うちのオカン、好き放題やってほんとにどーしよーもないけど、最低限のことはちゃんとやってたな」と思ってもらえればw
カナダに行ったのも、私自身が行きたかったのが一番で、kkは別に行きたくもないのに連れていかれたわけですが、
これもkkに、世の中を知ってもらうための良い機会になったかなと。
とにかくどんくさいというか要領の悪い私なので、kkには何かと迷惑のかけどおしです、もちろんカナダにいた間も…ごめんね。
こんな私たち親子のカナダでの暮らしとか、今の暮らしのことも少し、また書いていきたいと思っています。
モントリオールのオリンピックスタジアム。
1976年のモントリオールオリンピックの時に開場したドーム型スタジアム。
特徴的な外観で、モントリオールのシンボルの一つ。
モントリオール洗濯事情(2)
朝晩はかなり涼しくなっているモントリオールですが日中は時々容赦なく強烈な日差しがふってきて外に出たとたん「あつっ!」って思うこともあります、しかし日陰に入ると涼しい(ちょっと寒い)、建物の中は完全に涼しいが地下鉄は暑い。
これだけ気温の変化が激しいのに本格的な風邪はひいていません。身体が慣れたんですかね?
モントリオールでの滞在もあと数日になってしまいました、早いものです。
こっちで忙しくしていてブログも結局ほとんど書けませんでした、日本に帰ってから続きは書こうと思っているので、カナダのことを日本で書くというなんかヘンテコな状態になります。日本に帰ってからもまた忙しいです。。。なるべく頑張ります。
途中になっているタイトルも多いので一個ずつ地道に片づけていきます。
カナダの留学サイトを見ていると「洗濯は週に一回の家庭が多い」「洗濯機がでかい」とかいろいろ書かれてます。
でも結局、その家によって違う、というのが私の印象です。
移民の多い国なので、カナダに来てから生活習慣をまるきり変える人、そうでない人といるでしょうし。ただ留学生を受け入れるような家庭だと、カナディアンスタイルが多いのかも。
ドミニカンの私の友達はほぼ毎日洗濯して外に干しています。
ちなみに私がホームステイさせていただいているお家のMomは「疲れるからしょっちゅう洗濯はしない」と言っていました (笑)
洗濯機の容量は私が日本で使っていた(6~10㎏)のと同じくらい。
カナダ人の背丈に合わせてあるのか、下に高さ30㎝くらいの引き出しがあって上げ底になっています。なので高さが140㎝くらいあるんじゃないかと思います。
MomとDadは乾燥機使わない派らしく、乾燥機は今現在もの入れ(バケツとか洗濯ネット)になってます。冬がめっちゃ寒いので冬は乾燥機使うのかもしれません。
カナダの家電カタログを見ると洗濯機と乾燥機が対になって販売されているものが多いです。日本のドラム式洗濯乾燥機が2個並んでいるのと同じ格好。
賃貸アパートメントだと洗濯機のみだったりするようです。
びっくりしたのが縦型も2個セットで売られていたこと。これは縦型の乾燥機なんでしょうか。検証する時間がなくてすみません。
価格は2個セット(洗濯機と乾燥機)で1700~2400CADくらい。1CAD(カナダドル)78円くらいなので14万~19万て感じでしょうか。日本とあんまり変わらないかも。
ただ場所はとりますねw
あと、洗濯関連で言うと、カナダの衣類はあんまり質が良くないのか、Tシャツが縮んだり色落ちしたりは日常茶飯事です…。そうでないのもあるんですが、安いシャツを買うとそういうのに当たる率が日本より高いです。
総じて、家電といい、衣類といい、日本のほうが質はいいかなと思います。
モントリオールの日常(1)
モントリオールのダウンタウンから、地下鉄で15分程のところにある、Angrignon(アングリニョン)駅の周りに広がる住宅街。
モントリオールに来て間もなく、ここに友達が出来たので、しょっちゅう遊びに来てます。
3階建ての建物が多く、各フロアが一家族用。友達の家は2LDKですが、DKは日本のちょっとした戸建てのDKを少し小さくしたくらいの広さです。
↑荒れているように見えるけど家庭菜園。建物一つにつき、共有の裏庭があって、みんな相談して(多分)好きなようにカスタマイズしているみたいです。
↑自家製プール。どうやって作ったのかなあ…。
↑洗濯物はリール巻上げ式のワイヤーに干すようになってます。ホストファミリーのお家も同じです。
↑先日行った、隣の市(ラヴァル)の公園。この日は家族のためのお祭り。STM(モントリオール地下鉄&バス)の実物が停められていて、小さい子が喜んで乗っていました。
↑公園が異様に広く、プールあり、フラワーガーデンあり、温室あり、広大な芝生の広場、その他もろもろ。
歩くと本当に疲れます。が、ふつうの公園なのですべて無料です。
↑フラワーガーデンの一部。
↑公園内にある、子ども用の小さなお家の集落。中は学校みたいに作ってあったり普通のお家みたいになっていたり、警察官や消防士などの衣装を着たりできました。ごっこ遊びのための場所ですね。右側で座っている女性はお祭りのスタッフさんで、見回りをしながら子ども達に話しかけていました。
↑公園のプール。ここも無料(たぶん)。
軽減税率で、生鮮食品には課税されませんが、他のものは大体課税されていて、カナダの国全体の税金とケベック州の税金と、合わせて約15パーセントの税金がかかります。
生活コストはそれなりですが、モントリオールはこういった無料の施設(プール含む)やイベントがたくさんあります。維持運営のために税金が使われていると思えば、日本ほど腹は立ちませんしむしろ納得します 笑
モントリオールで疑われた話(2)
前回の続きです。
オフィサーに呼ばれて、なんでカナダにきたのか、どれ位滞在する予定なのか、子どもはあなたの子どもか、といろいろ聞かれました。
国によって必要書類は違うのですが、カナダでは、もし私が結婚している場合は、ここで夫自筆の渡航同意書を出さなくてはいけません。離婚している場合は元夫に書いて貰わなくてはならないのです。
ちなみに私のクラスメイトのコリアンのスゥは離婚しているので、「以前子ども達とフィリピンに行った時に、元旦那と口をきくのも嫌なのに、わざわざ連絡して書類書かせて、スゴイ嫌だった!」と言っていました(ー ー;)
もし渡航同意書が提示出来ないなら、戸籍謄本オリジナルと英訳したものを提示しなくてはいけません。(それでもやはり、決め手?になるのは両親の署名のようです。)
私が持っていたのは戸籍謄本オリジナルと英訳版のみで、渡航同意書は持っていませんでした。もちろん署名もありません。
なぜかというと、必要ないだろうと思ったから。
family register(戸籍謄本)の、kkの父親欄が空欄、何も書かれていないからです。
これは、kkの親権を所有する権利のある人間は母親のみということを示すものなので、おそらくイミグレーションも問題なく通れるだろうと私は思っていました。
「私は今まで結婚したことはなくて、子どもは1人で産んで育てている。子どもの父親と一緒に住んでもいないし、いま彼と連絡もとってない」と単語を並べただけの英語で話すと、オフィサーはフンフンと頷き、registerをガン見して、
「OK、ありがとう、行っていいわよ」
と言ってくれました。
実はこのregisterを、私はスーツケースに入れていたので、間違って出口直前まで行ったのも却って良かったのかも知れません。もしあのままストレートに行ってたら、先にスーツケースを取りに行かせてくれ、と言わなければならず、余計に怪しまれていたと思います。
私が戸籍謄本の英訳を作ったのは2年前なのですが、作っておいて本当に良かった。
なんせ、これを作るのに凄い時間とお金がかかったので…。
今回のように何もかも時間もない、お金もない中で準備するとなると、間に合わなかった可能性もあります。
帰りもまた何処かで引っかかるのかなー。でも今度は多分、kkの住所のあるとこに帰るだけだから、何も言われない気がします。
そして私も、今度は英語が少しはわかる気がします 笑
モントリオールで疑われた話(1)
いつもブログを読んでいただいてありがとうございます、なかなか更新出来なくてすみません。もう少し努力します。
ところでいきなりですが、
皆様、ハーグ条約というのをご存知でしょうか。手っ取り早くよそのホームページから拝借してきましたので以下の文章をご覧下さい。
↓
ハーグ条約は,国境を越えた子どもの不法な連れ去り(例:一方の親の同意なく子どもを元の居住国から出国させること)や留置(例:一方の親の同意を得て一時帰国後,約束の期限を過ぎても子どもを元の居住国に戻さないこと)をめぐる紛争に対応するための国際的な枠組みとして,子どもを元の居住国に返還するための手続や国境を越えた親子の面会交流の実現のための締約国間の協力等について定めた条約です(2016年1月現在,日本を含めた93か国が締約国)。日本人と外国人の間の国際結婚・離婚に伴う子どもの連れ去り等に限らず,日本人同士の場合も対象となります。
(外務省HPより)
次は、某サイトより拝借してきた文章です。
↓
A1、ハーグ条約という国際条約の話ですが、実は非常に身近でしかも深刻な問題なのです。子どものいる夫婦が離婚した時、子どもはどちらが育てるべきだと思いますか?
Q2、母親が引き取って育てる人が多いような・・・
A2、日本では一般的にはそれが普通と考えられていますが、外国、特にヨーロッパやアメリカなどではそうではないのです。
欧米では、両親は離婚しても親であることに変わりはない。
片方の親が引き取ったとしても、子どもと会ったり遊んだりするのは当然だという考え方です。こうした考え方の違いが、実は長い間、深刻な国際問題になっていました。
Q3、国際問題ですか?
A3、首脳会談で毎回、取り上げられるくらい、欧米諸国はこの問題に強い関心を持っていました。国際問題だけでなく実際に深刻なトラブルも起きていました。
国際結婚をしていたカップルが離婚して、片方の親が子どもを自分の国に連れ帰る。
相手が合意していれば問題ないのですが、無断で連れ帰った場合、欧米などでは「子どもを誘拐した」として罪に問われることもあるのです。
実際にアメリカでは日本人の母親が誘拐罪で起訴されたケースもあります。
こうしたトラブルを防ごうとして作られたのが「ハーグ条約」という国際条約です。
日本は長くこの条約に入っていなかったために「拉致天国だ」などという批判まで受けていたのです。
各国の批判もあって、日本はようやく91番目の加盟国としてこの条約に加わりました。(2014年)
私は、ずっと前に留学について色々調べている途中で、ハーグ条約のことを知りました。
この条約に批准する前は、日本人の親は他国で裁判を起こし、長期にわたって孤軍奮闘しなければならなかったケースが多々あったとか。
知った当時は大変だなあ〜と思うだけでしたが、
実は今回カナダにくるにあたって、まさに自分が、このハーグ条約の当事者?になったのでした。
私が1人でkkの手を引き、空港に行きます。すると「アナタ、このお子さんを父親に何も言わず、無断で連れ去ろうとしてるんじゃないでしょうね?」と疑われるわけです。
留学エージェントさんからは「あまりに荷物が少ないと、いかにも子どもをさらってきたみたいでイミグレーション(入国審査)で疑われると思うから、重くて大変だろうけどスーツケースは持ってきた方がいい」とか、具体的なアドバイスまでされました。
そして、その言葉通りに、でっかいスーツケースをゴロゴロ引きながら私は日本を出発。
でも成田では何もなし。
トランスファーで降りたアメリカのシカゴでも、特に何も言われなかったと思う。
そして最終目的地のモントリオール、
ピエール・エリオット・トルドー国際空港。
この時の私の英語力は本当に全くのゼロで、イミグレーションが何処なのかを人に尋ねることさえ出来ませんでした。
それで、多分ここかな?と思う場所に行くと、場所は合っていました。
が、イミグレーションオフィサー(入国審査官)に色々話しかけられたけど半分くらいしか分からない。
最終的には「向こうに出て行ってハンコもらって」みたいなことを言われたので、何処か途中でハンコもらうところがあるのかな、と思い、サンキュー、と超適当に返事をしました。
スーツケースをコンベアーで見つけて、さあ出口はどっちかなあと歩いていると、出口でセキュリティのお兄さん(イケメン)に「マダム、こっちに来て下さい」と呼び止められました。
そんで、あれよあれよという間にもとのルートを逆戻り。
途中で、「フランス語は全然知らないし英語がほとんど分からない、ごめんなさい」と言うとイケメンのお兄さんは、OK、大丈夫と笑顔で言ってくれた。優しい〜。
結局、最初のイミグレーションのすぐ後ろにある、ガラス扉の部屋に行くように言われました。
あー、なるほど、やっとここで引っかかったんだな、と納得。
さてここからどうなるか?
続きます。
モントリオールで言語について考える。
9月2日、この日は寂しくも、どこか晴れ晴れとした気持ちを感じる日でした。
母の3か月のESL(英語学校)が終わり、kkの保育園の最終日でもありました。
kkはクラスのみんなや先生とhugしてお別れのあいさつをし、
先生達には「Oh,My sweety!」と羽交い絞めにされていました(^ ^)
それを見ながら、誠にうちの息子は幸せなヤツだわ、としみじみ思った母でした。
母にとってもESLで学んだ3か月はとても幸せな時間でした。
仕事もせず、子どもを保育園に預けて堂々と学校に行き、真昼間に自分のための勉強に集中する。これを贅沢と言わずしてなんというのか。
私は英語が好きだから英語を勉強しているわけではなく、ただただ、多くの人とコミュニケーションをとりたいがゆえに勉強をしに来たのでした。
他にも理由はあるけど、まぁそこは置いといて、
とにかく英語でたくさんの人と話せるようになりたい、という気持ちがずっと強く、英語を学ぶことに集中できて片言ながらも少し会話ができるようになったこの3か月は、本当に幸せな、ずっと憧れていた時間でした。
決して平たんな道のりではなかったし、モントリオールに来てからもいろいろなことで悩みました。ストレス(多分)から、生まれて初めて蕁麻疹を発症し、最初の時は喉の粘膜まで腫れて、恐怖を味わいました。今も時々、蕁麻疹が数個、身体に出ることがあります。喉にも違和感が出ます。ストレスだけでなく、何か食べ物も影響しているのだろうと思いますが…
(このあたりの転末もいずれ書きたいと思っています。)
9月2日は学校の終了日ということで、改めて、もっと英語が話せるようになりたい、そしてできればフランス語もちょっとはできるようになりたい、という思いを強くしました。こうやって、もっともっとと思うから、できない自分との間にギャップを感じてしまい、ストレスになっているんだろうなあ~と思いつつ…。
自分自身のこともさることながら、母がずっと悩んでいることの一つに、kkの帰国後の英語をどうするか、というのがありました。
せっかくモントリオールに来たので、少しでも英語やフランス語を聞いたり話したりする環境を維持できればいいな…と思っていたのです。
幼児で吸収の早い年齢だからといって、たかが4か月程度の滞在で、英語が堪能になるわけではないだろう、と日本にいる時から思ってはいました。
そしてkkは相変わらず保育園ではおそらく主に聞くほうが多く、家で簡単な英語のフレーズは話しますが、日本語ほど話せるわけでもありません。
また、本人の内部のことなので正確な状態を母が把握することはできません。
おそらく聞いて理解することのできる部分は母が想像するより大きい気がしますが。
インターネットで調べてみると、子どもが帰国してから英語を維持するのには、物凄い労力を要するらしい、ということだけは理解出来ました。
幼児であれば、お金がある場合はインターナショナルプリスクールに行ったり、もしくは英会話の教室に行ったり…
家でもDVDだとか本を親が与えて、見せたりしているケースが多いようでした。
年齢の大きい子ならば自宅でも親がついて英語を勉強したり、プライベートでネイティヴスピーカーの先生を呼んで勉強したり、英検を受けたり…
凄すぎる。
とにかくお金も労力もかかる、ということがヒシヒシと伝わってきました。
その根底には、英語が出来れば将来的に何かと有利だから、なんとかして維持、向上させたいと言う、親の熱意が共通しているのでしょう。
そこまでではないにせよ、私も、英語に触れる機会をなくさないで維持出来ないか…と考えていました。
続きます。